広島県 T.I様より
- 喜多研一 KEN-ICHI KITA

- 8月28日
- 読了時間: 2分
更新日:9月14日
「地を這う視線 ~喜多研一氏の写真集を見て~」
ページをめくりながら作者の視線をたどる。
彼は歩きつつこの風景の何に感応しシャッターを切ったのか。
いわゆる『東京』というイメージでは、選択されないだろう風景たち。
錆びたトタンの張られた路地。草木が覆い尽くしてしまいそうな廃墟ぜんとした家屋。
開発からこぼれ落ちた区画。
都市計画とは無縁に伸び縮み増改築された建物。
けものみちのような道路。
地面の割れ目、やぶれたシートの隙間から生えてくる雑草の生命力。
あえて人の姿を排して撮影されたそれらの風景は、かつて確かにあった人の営みを感じさせつつも何処か夢の中のようにも見える。
人類が絶滅し、急速に自然に還りつつある終末世界のようでもある。
しかしながらかつて自分も東京の中でこういう風景を好んで探して歩いていた。
あまりに計画的に造られたきれいで人工的な街並みに息が詰まりそうなとき、人の思惑から外れた場所を探した。
都会の中の小さな森。
露地に置かれた鉢植えたち。壁に絡まる蔦。
どこか無計画に増築された建築。
錆びたトタンや褪色しひび割れた壁。経年変化や劣化。
そこに時間の蓄積、歴史といったものを感じる。
積み重なった時間の層。
これこそが人間の、生き物の生活の跡だ。と、一息つく。
スクラップ&ビルドを繰り返す大都市東京の無機的なイメージには浮上してこない、そんな小さな人間のいとなみ(と、都市の中の自然)を喜多氏は記録しているのかも知れない。
地球の日本の東京の、地表の記録。
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